神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)はなんの神様なのか?またどのようなご利益があるのか?
簡単な説明、ご利益、呼び方・表記、祀られている神社について一覧でまとめています。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)はなんの神様?
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は、日本神話に登場する大和を平定した英雄で、初代天皇として建国された神様です。アマテラスの血筋を引く子孫。
主に神武天皇、カムヤマトイワレビコ、イワレビコと呼ばれています。
ウガヤフキアエズと玉依姫(タマヨリヒメ)の子供
ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)と玉依姫(タマヨリヒメ)は4人の子供が生まれたと「古事記」書かれてあります。
その中の末子が、後に大和への東征の主人公となる伊波礼毘古命(イワレビコノミコト)=神倭伊波礼毘古命(カムイワレビコノミコト)、後の初代天皇・神武天皇です。
- 五瀬命(イツセノミコト)=彦五瀬命(ヒコイツセノミコト):長男、神武東征に参加
- 稲氷命(イナヒノミコト)=稲飯命(イナイノミコト):次男(または三男)
- 御毛沼命(ミケヌマノミコト)=三毛入野命(ミケイリノノミコト):三男(または次男・四男)
- 若御毛沼命(ワケミケヌノミコト)=伊波礼毘古命(イワレビコノミコト)=神倭伊波礼毘古命(カムイワレビコノミコト)=神武天皇:四男(末子)
「古事記」によると、若御毛沼命(ワケミケヌノミコト)の別名を伊波礼毘古命(イワレビコノミコト)と言ったと書かれてあり、こちらの呼び名が一般化しています。
この神話は、海に仕える豊玉姫(トヨタマヒメ)と玉依姫(タマヨリヒメ)の姉妹が、王家の祖先神として招かれ、その後大和を平定することになる英雄・神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)の祖母と母になったという話です。
つまり、王家(後の天皇家)と海の神様との間の縁の強さを説いています。
命に限りのある人間となる
4人の子の中で、御毛沼命(ミケヌマノミコト)は、波頭を踏んで常世国(とこよのくに:海の彼方にある異世界)に行き、稲氷命(イナヒノミコト)は、母の国である海に入られたと「古事記」に記されています。
(御毛沼命(ミケヌマノミコト)と稲氷命(イナヒノミコト)の2人は、人間になることを拒んだため)
天孫と海神の4人の子供のうち2人が海の世界に住み、残った2人が人間になったことを意味しています。
日向三代の邇邇芸命(ニニギノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト/山幸彦)、ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)は、日本の君主となり地上を治めるために高天原から降りてきます。
その後三代の先祖の任務を受け継いた神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は、命に限りのある人間になって人々を治めざるを得なくなったのです。
人間になるのを嫌がった2人は母方の世界である海に行かざるを得ませんでした。
ここまでが「古事記」の上巻になります。以後は中巻に進みます。
兄・五瀬命(イツセノミコト)と神武東征に出発
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が高千穂宮で長男の五瀬命(イツセノミコト)と話し合いをし、都にするべき場所を探して東方に向かおうと決めます。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)と五瀬命(イツセノミコト)は大和に向かおうと旅を続けます。
途中、明石海峡をわたる時に槁根津日子(サオネツヒコ)に出会い、道案内をさせるために仲間にしました。
※槁根津日子(サオネツヒコ)は、大和神社の祭祀を担当した倭氏の先祖。纏向遺跡の遺跡は岡山などのものが多いことから槁根津日子(サオネツヒコ)と関係か?
大和で敵に攻撃され兄・五瀬命(イツセノミコト)が亡くなる
大和に入ろうとした神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)の前に強い敵が登場します。
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ=長髄彦)たちが待ち構えていました。
矢を激しく射てきたために、兄の五瀬命(イツセノミコト)が重症を負い船に戻って退散。
五瀬命(イツセノミコト)は「我々は日の神様の子孫でありながら、太陽が上る方角に向かって戦いを仕掛けたので敗れた。ここは遠回りして、朝日に背を向けて戦おう」と。
この言葉に従い、紀伊半島を南下して遠回りをして行くことにしました。
その後、兄の五瀬命(イツセノミコト)は紀伊の国の竈山(和歌山市)に入ったところで亡くなってしまいます。
この神話は、神武天皇の世代から命のある人間になり、死期がくれば命が終わることを表しています。
熊野の上陸時に敵に遭遇するも、タケミカヅチの神剣「布都御魂(フツノミタマ)」を手に入れて勝利
紀伊半島の南端から熊野に上陸した時に、森の中から熊(悪神)が現れてすぐ姿を消しました。
その時に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は予想外の力で気を失ってしまいます。
ここでも天孫の上陸を阻止するものに妨害にありますが、不思議な剣の呪力によって助かります。
「古事記」によると、のちに物部氏が祀られている石上神宮の御神体となった神剣・布都御魂(フツノミタマ)だと記されています。
その神剣を持って現れたのは熊野に住んでいる高倉下(たかくらじ)。
高倉下(たかくらじ)は神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)に「夢に天照大神(アマテラスオオミカミ)と高御産巣日神(タカミムスビノカミ)が現れ、この剣は建御雷神(タケミカヅチノカミ)が天から授けたものだ」と。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は神剣を持つと光を放ち、熊野の悪神たちは退散し、熊野が平和になったのです。
布都御魂(フツノミタマ)という神剣は邪悪な精霊を鎮める力を持っていると信じられていたそうです。
タカミムスビが道案内に八咫烏(ヤタガラス)を送る
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は不思議な夢を見ます。
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)が現れ、道案内として八咫烏(ヤタガラス)を送ると告げたのです。
目を覚ますと、大きな八咫烏(ヤタガラス)が頭上を飛び回っていました。
八咫烏(ヤタガラス)の導きに従い険しい山を越えて、吉野川上流。吉野で豪族たちを従えて、山を下り宇陀に到着しました。
ここで登場した八咫烏(ヤタガラス)は葛野主殿県主(かづののとのもりあがたぬし)という氏族の祖先神。上賀茂神社と下鴨神社の神職を努めている賀茂氏(鴨氏)は彼らの祖先になります。
大和平定①:宇陀の戦い
宇陀(奈良県宇陀市)に到着した神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は、大和の豪族を次々に従えていきます。
宇陀を治めていた兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)の兄弟だったと記されています。
八咫烏(ヤタガラス)を2人のところに送り服従するように勧めたところ、弟宇迦斯(おとうかし)は喜んで従います。
しかし、兄宇迦斯(えうかし)は仕掛けをした御殿に誘い込み殺そうとしたのです。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は道臣命(ミチオミノミコト:大伴氏の祖先)と大久米命(オオクメノミコト:久米氏の祖先)に兄宇迦斯(えうかし)を捕まえさせました。
道臣命(ミチオミノミコト)と大久米命(オオクメノミコト)は刀と矛で脅し、兄宇迦斯(えうかし)を御殿に追い込むと、上から大きな石が落ちてきて兄宇迦斯(えうかし)を押しつぶし退治します。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は敵の罠に引っかからずに、見事に勝利したことから、勝利を祝う宴会を開きました。
大和平定②:忍坂の戦い
この後「古事記」では忍坂(奈良県桜井市)で八十健(やそたける)と呼ばれる豪族を従えた話が記されています。
八十健(やそたける)を大室と呼ばれる屋敷に招いて宴会を開き油断をさせたところを倒し、屈服させました。
ヤマタノオロチ(八岐大蛇)と話の内容が似ていることから、神話の延長だと判断されています。
大和平定③:登美毘古(長髄彦)との再決戦
「古事記」には兄・五瀬命(イツセノミコト)が亡くなった登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ=長髄彦)との決戦について「歌物語」で紹介されていますが、具体的なことが書かれていません。
「討ち果たそう」などの歌物語はありますが、勝ったのか負けたのかもかかれていないのです。
それに対し「日本書紀」には、神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が金色の鵄(とび)の助けにより勝利したと書かれてあります。
金色の霊鵄があらわれ、神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)の弓の先に止まります。
金色の鵄(とび)の輝きは光り輝く太陽のようにまぶしく、登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ=長髄彦)たちは目がくらみ混乱。
それを逃さず攻め立てて勝利しました。
初代天皇・神武天皇即位
辛酉年1月1日、橿原宮で天皇に即位し初代天皇になりました。紀元前660年2月11日であることから、日本の「建国記念の日」となっています。
即位4年に天下を平定。
神武天皇76年3月11日、橿原宮の崩御。127歳でした。
神武天皇の墓
神武天皇陵は、畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)とされています。
場所は奈良県橿原市大久保町。
宮内庁により四条ミサンザイ古墳に治定されています。
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)のご利益
「古事記」と「日本書紀」から神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)のご利益をまとめました。
国家安泰・天下泰平
天照大神(アマテラスオオミカミ)の系譜を受け継ぐ存在で、大和の地を治めたことから、国家安泰・天下泰平のご利益があるとされています。
必勝・勝負運・仕事運
大和を平定し、都を橿原に開いたことから、必勝・勝負運・仕事運のご利益があるとされています。
困難突破・開拓・道を切り開く
何度も困難に合いながらも、それを乗り越えて大和の地を治めたことから、困難突破・開拓・道を切り開くご利益があるとされています。
延命長寿
神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)は127歳まで長生きしたことから延命長寿のご利益があるとされています。
総合すると困難なことを切り開いて突破し、最終的に成功する意味のご利益があります。
- 国家安泰・天下泰平
- 必勝・勝負運・仕事運
- 困難突破・開拓・道を切り開く
- 延命長寿
呼び方
一般的な神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)以外にも呼び方は色々あります。書物や神社によって読み方や漢字が変わりますが、すべて同一神です。
呼び方 | 意味 |
---|---|
神武天皇 | 一般的な呼び方 |
カムヤマトイワレビコ、イワレビコ | |
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト) | 「古事記」の呼び方 |
若御毛沼命(ワケミケヌノミコト) | |
豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト) | |
神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレビコノスメラミコト) | 「日本書紀」の呼び方 |
彦火火出見(ヒコホホデミ)※ | |
狭野尊(サノノミコト/サヌノミコト) | 「日本書紀」第十一段第一の一書での幼名 |
神日本磐余火火出見尊(カンヤマトイワレビコホホデミノミコト) | 「日本書紀」神代第十一段第二・第三の一書での呼び方 |
磐余彦火々出見尊(イワレビコホホデミノミコト) | 「日本書紀」神代第十一段第四の一書での呼び方 |
磐余彦尊(イワレビコノミコト) | 「日本書紀」神代第十一段第二での呼び方 |
磐余彦帝(イワレビコノミカド) | 「日本書紀」継体紀での呼び方 |
神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト) | 神社の呼び方 |
神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト) | 神社の呼び方 |
神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) | 神社の呼び方 |
神大和伊波礼彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) | 神社の呼び方 |
神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) | 神社の呼び方 |
※彦火火出見(ヒコホホデミ)は、祖父の火遠理命(ホオリノミコト/山幸彦)と全く同じ名前になっています。
大阪府に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
神社名(大阪府) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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壹須何神社 | いちすかじんじゃ | 大阪府南河内郡河南町一須賀628 | 合祀神の一柱が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
男乃宇刀神社 | おのうとじんじゃ | 大阪府和泉市仏並町1740 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
男神社 | おのじんじゃ | 大阪府泉南市男里3 | 主祭神の一柱が神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
蟹井神社 | かにいじんじゃ | 大阪府河内長野市天見428 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
日部神社 | くさべじんじゃ | 大阪府堺市西区草部262 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
信達神社 | しんだちじんじゃ | 大阪府泉南市信達金熊寺795 | 御祭神の一柱が神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト) |
澪標住吉神社 | みおつくしすみよしじんじゃ | 大阪市此花区伝法3 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
京都府に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
神社名(京都府) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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許波多神社 | こはたじんじゃ | 京都府宇治市五ケ庄古川13 | 御祭神の一柱が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
向日神社 | むこうじんじゃ | 京都向日市向日町北山65 | 配祀神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
兵庫県に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
神社名(兵庫県) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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鞍居神社 | くらいじんじゃ | 兵庫県赤穂郡上郡町野桑953 | 御祭神の一柱が神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
青龍神社 | せいりゅうじんじゃ | 兵庫県明石市藤江1191 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
奈良県に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
奈良県に神武天皇が祀られている神社は橿原神宮が有名です。
神社名(奈良県) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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橿原神宮 | かしはらじんぐう | 奈良県橿原市久米町934 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
神武天皇社 | じんむてんのうしゃ | 奈良県御所市柏原246 | 御祭神が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト) |
玉置神社 | たまきじんじゃ | 奈良県吉野郡十津川村玉置川1 | 御祭神の一柱が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
滋賀県に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
神社名(滋賀県) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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橿原神社 | かしはらじんじゃ | 滋賀県犬上郡多賀町一円223 | 御祭神の一柱が神武天皇(じんむてんのう) |
平林神社 | ひらばやしじんじゃ | 滋賀県米原市下丹生444 | 主祭神が神武天皇(じんむてんのう) |
和歌山県に神武天皇(神倭伊波礼毘古命/カムヤマトイワレビコ)が祀られている神社
神社名(和歌山県) | 読み方 | 住所 | ゆえん |
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龜山神社 | かめやまじんじゃ | 和歌山市和田438 | 配祀神の一柱が神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
熊野神社 | くまのじんじゃ | 和歌山県御坊市熊野987 | 配祀神の一柱が神大和伊波礼彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
新宮神社 | しんぐうじんじゃ | 和歌山県新宮市新宮1 | 御祭神の一柱が神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
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