古事記・日本書紀によると、オオクニヌシノミコト(大国主命)は全国を巡って国造り(国作り)をしていきます。
最初はスクナヒコナノミコト(少彦名命)と一緒にスタートし、続きは大物主神(オオモノヌシノカミ)と一緒に達成します。
オオクニヌシノミコト(大国主命)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)による国造り
オオクニヌシノミコト(大国主命)はまず最初にスクナヒコナノミコト(少彦名命)と出会い、全国を巡っては国造り(国作り)をしていきました。
スクナヒコナは一寸法師のような小さな神様。
古事記では初代神様「別天神」の1柱であるカミムスビノカミの子供とされ、日本書紀ではタカミムスビの子供とされています。
カミムスビは「スクナヒコナは私の子供です。小さいので私の手の間からすり抜けてしまいました。
葦原中国(あしはらのなかつくに)であなたと一緒に国作り(国造り)を固めることでしょう」と話します。
オオクニヌシとスクナヒコナの国造りについては「古事記」よりも「日本書紀」や「風土記」の方がよく載っています。
オオクニヌシノミコト(大国主命)とオオモノヌシノカミ(大物主神)による国造り
スクナヒコナは途中で去ってしまい、オオクニヌシはこれからの国造りについて悩んでいましたが、その時、大物主神(オオモノヌシノカミ)に出会います。
- 大物主神(オオモノヌシノカミ)
オオモノヌシは「私を祀るのであれば、一緒に国造りを完成させましょう。でないと国の完成は難しいでしょう」と話します。
オオクニヌシはどう祀ればよいのかを尋ねると、「大和の東の山の頂上に祀りなさい」とオオモノヌシは言います。
それを聞いたオオクニヌシは御諸山(みもろやま)の頂上、今の三輪山(奈良県桜井市)、大神神社に祀りました。
大物主神(オオモノヌシノカミ)に出会えたことで、オオクニヌシは大和から最後まで国造りを達成することができました。
▲大神神社(おおみわじんじゃ)の参道にある鳥居と三輪明神の碑。
大国主神(オオクニヌシノカミ)と大物主神(オオモノヌシノカミ)は同一神?
スクナヒコナの後から登場するオオモノヌシですが、オオクニヌシノミコト(大国主命)の和魂と言われています。
つまり同一神・別名であると。
このことから最後の国造りについては、オオクニヌシ一人(一柱)で成し遂げたとも言えます。